能楽の和泉流狂言師で人間国宝の野村萬(のむら まん)さんが日本の文化庁からの助成を得て、第15回ホノルル・フェスティバルでの『大田楽』の公演が実現されました。このことは、日本のすばらしい芸能・文化をハワイの人、世界の人々に見ていただける大変貴重な機会となりました。
そこで、今回の『大田楽』の公演にあたって、ホノルルを訪問されていた野村萬さんにお話をおうかがいしました。
— ホノルル・フェスティバルの会場で『大田楽』と『天守物語』をご覧になっていましたが、いかがだったでしょうか?
月並みだけども、やはり文化とか芸術というものに国境はないんだなと感じました。なんて言いましょうか、人間の魂が交わったり、集中したりするっていうか。今までは、自分が舞台に出ることの方が多かったので、今回、客席で観客の皆さんと一緒にいて、そのことを改めて強く感じましたね。
『大田楽』からは、活力とか躍動感とか、そして音楽の奏でるリズム感が伝わってきましたね。
それから、今の日本でも「美しい日本語」とか「正しい日本語」というものがいったいどこに行ったら聞けるんだろうって、その点で『天守物語』っていうのは、日本語の持つ美しさをとてもたたえていると思うんですね。物語の意味や内容もあるけれども、「日本語の美しさ」っていうようなものを本能的につかんで下さったらありがたいなあと思って見てました。
— こちらの日系のご年配の方で涙を流しながらご覧になっていた方がいらっしゃったんですけど、もしかしてそういうのが・・・。
そうですね、言葉の持つ透明感というか、非常に無駄のない研ぎすまされた言葉っていうものが持つ胸にくる響きが国境を越えてあるってことでしょう。
— ということは、日本の「美しい言葉」というものを、これから外国でも後世に伝えていけるし、伝えていかなければならないってことでしょうか?
そう、だんだん日本も「美しい言葉」を失いつつあるように思いますよ。ただ、私達が舞台の上で発するものは日本語なんだけれども古語でしょう。ですから、やはり、なかなかストレートにはいかない。けれども、『天守物語』は私達のやる古い時代の言葉よりはもっともっと現代に通ずるものなので、それができるんじゃないかと思うんです。
大家族っていうか、異なる世代がみんな一緒に生活してた時には、例えば若い人は悲しいなら「悲しい」という言葉しか使わないかもしれないけれど、少し年をとった方がいらしたりすると同じ悲しいでも「哀れ」とか、そういう日本語の持つ幅の広さっていうものがあったと思うんです。それが日常的にだんだんと失われつつあるので、年長の人はそういうものをこれから益々大事にしていって下さるとありがたいなぁと思いますね。
— 今回ご出演の松坂慶子さんがおっしゃっていたんですけど、『大田楽』をやることによって、例えば静岡県の伊東市でも石川県の山代温泉でも地域間、家族間の交流がすごく増えて、慶子さんご自身も娘さんが一緒に出演されることになって、今まで話せなかったようなことが話せるようになったと。
そうですね、今回もってきた『天守物語』と『大田楽』という二つの作品を考えると、『天守物語』は先ほど申し上げたような日本語って言うか言葉に対する感性というものが非常にあって、『大田楽』は人間の持つ本能みたいなものがあって、こういう二つのものが車の両輪のようにして動いていきながら、これからも文化交流をしていけるといいなぁと思いますね。
— 中世の日本で流行したものの、その後消えてしまった『大田楽』という芸能を息子さんの万之丞さんが今の時代に生き返らせた意義というのは何だと思われますか?
そうですね、中世という時代の民衆の活力っていうのかな、時代を超えていろんな人の生活の中に喜怒哀楽があるわけだけれども、そういうものを全て乗越えていく力が民衆というか人間にあるわけでしょう。そういうものを息子は掘り起こしたんだと思いますね。
僕なんかが言うのもおかしいけれど、今のような経済状態、こういう時代であればあるほど、芸能とか文化っていうものが今後ますます人々の生活や社会を豊かにしていくと思うんですね。そういう役割がこれから益々とっても大切になるんじゃないかと思いますね。
— ホノルル・フェスティバル開催の目的のひとつに、環太平洋の文化を世界の人々、次世代の子供達に継承していきたいということがあるんですが、日本の代表的な伝統文化のひとつである狂言の世界にいらして、文化を次世代にどのように伝えていきたいとお考えですか?
少し話が飛んでしまうけれど、例えば今度開催されるロンドンのオリンピックなんかも、ただスポーツというだけではなくて、スポーツと文化を一緒にした祭典にしようとしています。東京も2016年に東京オリンピックができれば、「文化とスポーツ」という発想でやっていこうと今いろいろ準備を進めているんですよ。
僕らの古典で言うと、昔は舞台があって観客っていう形でしょう。それが、だんだん時代と共にみんなが参加する形に膨らんできて、知識とかではなくて、肉体を通じて実体験から文化っていうものを感じていくということでしょうか。僕らの舞台でも、頭だけじゃなくて、小さい時からやっているので理屈抜きに体で表現することができる。だから、考えた時にそこでちゃんと体がそれを成り立たせてくれるんですね。そういうことをこれから子供達が味わっていってくれるといいなぁとも思いますね。
伝統芸能には、「高さ」とか「深さ」っていうのがとっても大切なんです。縦と横っていうかな。言い換えると、普及するってことは広くなっていくということなんだけれど、残念ながら少し浅くなってしまう。だから、縦と横、高さと深さと広さっていうものをどういう風に織り成していくかっていうことが僕らの伝統にも、それぞれの人の生活にも大切なんだと思いますよ。国と国もそうだろうと思いますね。
そして先ほど申し上げたように、僕らの芸能の伝承でいうと、やはり「大家族」っていうものが、ひとつとても大切な枠組みをもっているんです。僕は詳しくはわかりませんけれども、このハワイにもそういう家族制度っていうか、大家族の良い形がおありになるんだろうと思うんですね。
「文化」っていうものは、核家族になってしまうと、とっても狭くなってします。
— ハワイ語で家族のことを「オハナ」と言うんですが、ハワイでは「オハナ」という言葉がよく使われて、家族や人と人との結び付きを大切にするんです。
日本の古き良き時代の家族制度の暖かさとか厚みとかを、正直、感じますよね。
だんだん日本そのものが核家族になってしまっていて、精神的なものなり、文化的なものが薄っぺらになっていく恐れがあるでしょ。それを支えていくのが家族なんだと思うんです。
僕らもそうやって育ってきたんですが、お父さんやお母さんは子供により厳しく、伝統で言うと、直接教える人間が難しいこととか厳しいことを言わなければならないんですね。けれど、そこにおじいさんのようなもう一つ前の世代がいると、「もっと面白いんだよ」とか、「楽しいよ」ということが説ける。そういう厚みが大切なんでしょうね。もちろん、「面白いよ、楽しいよ」だけでもだめ。だから両方。そういうものが上手く織り成していけることが、芸能に限らず、日常の生活においてとても大切なんだと改めて思いますね。
— 和泉流狂言が300年という長い歴史を経て続いてきた根源に古き日本の大家族が織り成すものがあるということですね。
そうですね、そういうものが織り成していくんでしょう。伝承って言うのは長い呼吸で物を考えていかないと難しいんですね。すぐにぱっと素敵な花を咲かせたいけれど、それは一代じゃなかなかね。根っこは雑草みたいに踏まれても踏まれても枯れないだけの強さがあって、それになんとか素敵な花が咲くといいんですよね。下手すると素敵な花が根無し草になってしまう。枯れてしまっても、根っこがとても強いのでまた素敵な花が咲く、そういう努力をこれからいろんな形で、国を超えて、民族を超えて、いろいろな所で重層的になされていくことが大切なんじゃないでしょうか。
そして今、自分としては、なるべく「楽しいよ」とか、「面白いよ」ということを言いたいですね。「難しいよ、厳しいよ」というのは、もうさんざん言ってきたから。なるべくそういう風になっていかないと・・・年寄りは(笑)。