sugaren

國友須賀さん

國友須賀さん

昨年2011年6月、須賀連の創始者である國友須賀(くにとも すが)さんが他界されました。 これまで毎年、ホノルル・フェスティバルのステージにご出演くださったことに感謝するとともに、心からご冥福をお祈りいたします。

須賀連は、ホノルル・フェスティバルの第1回からこれまでずっと参加しているグループで、今やホノルル・フェスティバルを代表するなくてはならないグループとなっています。毎年、その踊りを楽しみにホノルル・フェスティバルを訪れるという人も少なくありません。

そして、そのステージで毎回、会場中に響き渡るほどの元気な声で感謝の気持ちと世界の平和を願う熱いメッセージを語り続けてくださったのが國友須賀さんでした。
今回、その國友須賀さんの息子さんであり、須賀連の新しい代表となられた國友 悠一朗(くにとも ゆういちろう)さんに、國友須賀さんのこと、そして今の想いをおうかがいしました。

 

須賀さんがいつもステージから叫んでいた「ありがとう」に込められたもの

踊りを踊って身体を動かすと、ストレス発散になって元気になってきます。でもそれだけじゃなくて、踊りを通して心が開くんですね。
踊りを踊り、見ている人が感動してくれると、私達もその感動のエネルギーをもらうことができて、自分達も感動します。その感動のキャッチボールが良い世の中をつくっていくパワーになるというのが母の考えでした。「踊りを踊ることで、感動のキャッチボールが生まれ、良い世の中をつくることができる、そういったことに自分達が関われることに感謝しないといけないね。」とよく母は言っていました。
そして母は「ありがとうございます!ぜひ皆さんにこの踊りを見ていただいて、喜んでいただければ幸せです。」という気持ちが踊りを通して見ている人に伝わり、その人たちも幸せな気持ちになってくれることを目指していたのです。

國友 悠一朗さん

國友 悠一朗さん

昨年のホノルル・フェスティバルに参加した時には、余命2ヶ月と宣告されていました。それでも、ホノルル・フェスティバルには行くと言うんです。というのも、ハワイは世界中からツーリストが来る場所で、その人達に日本人が一所懸命に踊る姿を見てもらえるのがホノルル・フェスティバルだからだと。そこで私達が感謝の気持ちを込めて一所懸命に踊ることで、「ああ、日本にはあんなスピリットもあるんだな。素敵だな。」と少しでも感じてもらって、その感じたことを自分の国に帰った時に話をしてくれると、いろいろな意味ですごく良い影響が広がるはずだと彼女は考えていたんですね。

僕らは、踊りを踊りながら、自分達のことを「見て、見て」とか、「かっこいいでしょ」とか、「すごいでしょ」ということを表現するのではなく、「踊ることができて、ありがとうございます。この舞台に立つことができて本当にありがたいと思っています。」という感謝の気持ちで踊っています。というのも、皆さんが私達の踊りを見てくださったり、スタッフの皆さんが舞台を用意してくださったり、祭りを一生懸命準備してくださったりしたからこそ、私達がそこで役目を果たせるからです。

 

『いい世さ来い』と良い世の中をつくること、それが母のモチベーションでした

kunitomo03ホノルル・フェスティバルの後、母はマウイ島でしばらく療養することになっていたんですが、東日本大震災が起こったことから、療養を取り止めて日本に帰って来ました。そんな身体で帰って来てもと止めたのですが、「ガンの私でも何かできることがあるはず。今、日本の半分の人は苦しんでいるでしょう。これまで私は『いい世さ来い』と良い世の中をつくるってやってきた。それが私のモチベーションだった。ガンの私でも、ひょっとしたらできることがあるかもしれない。だから帰る。」と言って帰って来たんです。

ダンススタジオがある千葉の旭市も津波による被害を受けて、被災地でした。母は、1ヶ月間、炊き出し隊長として、日本中から救援物資と支援金を募って、炊き出しのメニューを考えたりと炊き出し活動をしました。
正直、息子としてはもう止めてもらいたかったです。でも、同時に誇らしくも思いました。身体は痩せ衰えていくものの、人の役に立っていることに喜びを感じている彼女のうれしそうな顔、その姿を最後に見ることができました。そして、母との最後の別れの時には「あなたの子供でよかったよ」「愛しているよ」と伝えることができました。母はうなづいて僕らの目を見ながら旅立っていきました。

 

リーダーを引き継いで…
「日本の現代よさこいの母」と言われる彼女の功績を引き継ぐということに関してプレッシャーがない訳ではありません。でも、母は、絶対にあきらめることなく、理想に向かって生きていく姿を最後の最後まで見せてくれて、自分もこういう風に生きていくのが素敵だなと思ったので、Do it! Just Do it! という気持ちです。

sugaren01

第18回ホノルル・フェスティバルでの演目

第18回ホノルル・フェスティバルでの演目

この8ヶ月間、ものすごく大変なことはありました。でも、今回、ホノルルに帰って来れて、そして皆さんに喜んでいただけてすごく幸せでした。
今回、選んだ演目は、母が初めて参加した第1回ホノルル・フェスティバルの時のものです。その時は、日本から80人のダンサーを連れて来て、40人ぐらいのマウイダンサーズと一緒に踊りました。須賀への追悼の想いも込めて、その第1回ホノルル・フェスティバルで踊った踊りをどうしても踊りたくて、来たんです。
ホノルル・フェスティバルへの参加は須賀が始めたことだったので、実は、今年のホノルル・フェスティバルが最後になるかもしれないなという覚悟でした。でも、今回、どこで演舞するにしても、須賀のことを紹介してくれて、一人ひとり司会者の方が須賀との思い出を語ってくださり、須賀連はホノルル・フェスティバルにはなくてはならない存在だとか、須賀連はホノルル・フェスティバルを盛り上げてきてくれたというお言葉をいただきました。また、市長さん、知事さんにも励ましのお言葉をいただいて、本当にありがたかったです。
それで、今は、これは自分の代になっても須賀の志をひき継いでいかないとという決意でいます。

メンバーは皆、須賀のことが好きで、須賀の踊りが好きで、よさこいIZANAIを踊っています。そして「須賀先生のスピリット、志は、悠一朗さんがひき継いでいるから、今までと変わらず一緒に踊りますよ。」と言ってくれて。本当に幸せです。
弟の慎之助とは二人兄弟で、どんな時もずっと力を合わせてやってきたんです。彼の優れたところと自分にできることで、これからも須賀連をやっていこうと思っています。それから、僕には妻と家族同然の素晴らしいスタッフもいます。これからは、チームとして、皆が一人ひとり輝きながらそれぞれの役割を果たし、須賀が一人でやっていたことを皆で分担しながら、もっと良い須賀連をつくっていこうと思っています。

 

老若男女みんなが参加できて楽しめるのがよさこい

母が30年前に高知でよさこいを現代風に変えた時、伝統を壊したとバッシングを受けました。そして、よさこいは日本の高知のお祭りであって、日本全国に広がるはずがないと言われました。でも、彼女は「踊り」というのは広がることができる文化で、この「よさこい踊り」には、きっとそれができると信じていました。そしてその頃から、須賀はよさこいを「いい世さ来い」、つまり「良い世の中をつくっていこう」といことでずっと続けてきました。
そして、今では、よさこいは、「よさこい追分(おいわけ)」とか、「よさこいだんじり」とか、「ねぶたよさこい」とか、いろいろなお祭りと融合しながら広がって、日本中どこにでもあります。

「よさこい」の良さというのは、まず勝ち負けがないということ。そして、世代も育った環境も全く違う仲間が隣同士で老若男女関係なく皆がひとつになって踊ることができるということなんです。「老若男女みんなが参加できて楽しめるものを」というのが、母がずっとコンセプトにしていたことでした。
当時からずっと、伝統や日本人の「和の心」をベースに、その時の流行や旬なものを衣装にも踊りにも音楽にも取り入れて発表していくことで、老若男女みんなに広く受け入れられるようにと考えてきました。
kunitomo04伝統に固執し過ぎては広がりがないその土地だけの伝統芸能になってしまうんですけど、日本の良いものや世界の良いものを取り入れ、ミックスして融合していくことで、広がっていくと思うのです。なので、私たちの代になってもそれは変わらずやり続けていきたいと思っています。

そして、僕が尊敬している日本のアーティストの方々とも、これからいろいろな形でコラボレーションをしていきたいと思っています。和太鼓の方とか、音楽家の方とか。そういった方々と「日本」というものをテーマに何かやってみたいなあと思っています。
例えば、日本の古事記の中には、皆既日食を人々が不安に思い、歌と踊りとで祭りをして日食が終わるの待っていたという話がありますが、それはきっと、マヤ文明にも、アメリカインディアンにも、世界中に広く共通したエピソードだと思うんです。そういうものを現代風にアレンジして、日本ではこういう風に伝えられているけれど、みんな一緒ですよね、世界共通ですよね、だから、We are ONE なんですよと。そういう展開をこれからよさこいやいろいろなものを通してやりたいと思っています。

 

来年のホノルル・フェスティバルに向けて

今回のステージにはマウイダンサーズが20人参加したんですけど、完全に支部ができています。ホノルル・フェスティバルを1年の目標にして活動し、これからもずっと参加していこうという動きになっています。来年のホノルル・フェスティバルではマウイダンサーズももっと増えるのではないかと思います。今回の演舞を見て、そして須賀の志の話に感動して、私達もやりたいという声があがって、ホノルル支部を立ち上げたいという人も出てきました。
私たち須賀連は、全18回参加しているこの伝統を守りながら、これからもずっとホノルル・フェスティバルと共に、皆さんと一緒に歩んでいけたら幸せだなあと思っています。ですので、これからもどうぞよろしくお願いいたします!